気持ち・思考

『本当のあなたは誰ですか?』記憶を探る自分探しの旅

SORA

人生の道に迷った時、全てを休み、自分探しの旅に出たくなったことがある方は多いと思います。

その行動の代表例が、バックパッカーなのでしょう。旅は経験として多くのことを教えてはくれますが、旅を終えても迷いが取り払われることは少ないはずです。

今回はその理由と、これから向かう思考について考えてみたいと思います。

生きる理由

『人はなぜ生まれて来るのか?』
これは、誰もが一度は直面する疑問なのかも知れません。

しかし大人達は『暇だから、そんなこと考えるんだよ』と、なかなか真剣に取り合ってはくれません。
具体的な答えは、人それぞれ違うのかも知れませんが、結局は誰もが『生きる理由』を求めているのです。

実際に旅を続けていても、いつしかそれは日常の行動となり、パターン化して行きます。
すると次の刺激を求め、場所を移動するのです。
大自然に身を置けば寂しくなり、都会に出れば耳をふさぎたくなる。
そして結局『何処に居ても同じなのか?』と思うことがあるかも知れません。

旅の経験は有益なので否定するつもりはありませんが、結局人は、自分の思考からは逃れられないのです。

原因と結果

ちょっと厳しい言い方に聞こえるかも知れませんが、人生の道に迷い自分探しの旅に出ることを『因果』に置き換えると『分からないものを探しに行く』と表現出来ます。

目的が見えているのであればいいのですが、有無の分からないものは、探し辛いはずです。
実際、私にも経験がありますが、旅を終えても、また同じような日常が始まるだけなのです。

『やりたい仕事が分からないから旅に出るんだ』となりますが、それならば出来そうな仕事をやってみて合わなければ次を探した方が現実的です。

もしかしたら実際は、仕事に対する恐れや不安、もしくはつまらなさを感じているのかも知れません。
ですからある意味、旅が逃げ道となっている場合があるのです。

勿論、自分探しの旅も試してみないと分かりませんから、それもまた学びです。

ここで、今一度考えてみましょう。
『やりたいこと』って、どんなことなのでしょうか?
楽しこと? 好きなこと?

ちなみに、楽で給料が高い仕事っていうのはファンタジーですから、ありません。
ちなみに私は『どれだけ自分が本気になれるか』なのだと思っています。

そこで聞こえて来そうなのが『本気になれる仕事がない』ということでしょうか。

その理由は、給料か人間関係、もしくは将来性なのかも知れません。
ただ、その考えを貫いてしまうと未来がどうなるかは、想像が付きますよね。

しかし、上手く表現出来ないモヤモヤに包まれ、身動きが取れなくなっているとしたら、やはりしっかり自分と向き合う必要があるのです。

記憶を旅する

私は鑑定を依頼され話を聞く機会がありますが、ほとんどの方は、まず『自分を取りつくろう塀作り』を始めてしまいます。そして『あれは、これは、こういう理由で出来ない』とか『ちゃんとやっているのに、私だけいつも不幸だ』となってしまうのです。

これは時間を掛けて壊してあげないと、話が進まなくなってしまうのですが、やらなければ核心には辿り着けない難しさもあります。

そこでオススメしているのが『自分と向き合う記憶の旅』です。
これは自分で自分を方向転換させられる『技』と考えて下さい。

人は自分自身の欠点や、過去の辛い思い出と真剣に向き合うことって、なかなかしないものです。

なぜならば、考えるだけで嫌な気持ちになるからです。また、鬱症状のある方も、実際は辛い記憶の表面を行ったり来たりしているだけで、深く入り込むことはしないものです。

ここで言いたいのは『未来は変えられないけど、過去は変えられる』ということです。
ちょっと腑に落ちないかも知れませんが、聞いて下さい。

未来とは今やっていることの結果なので、ある程度は予想が付きます。
そして、霊(たましい)は未来を知っているのです。

しかし過去とは記憶ですから、思い込みにや考え方によって180度転換することが可能です。

例えば運動が苦手で、子供の頃に嫌な想いをしたとします。
では大人になった今、どれだけ運動神経が問われているでしょうか?
ほとんどの方は、それほど困っていないはずです。

しかし、過去の記憶が時に溢れ出し、何かしらの苦手意識を増幅させているのだとしたら不幸ですよね。
ついつい、引っ込み思案になってしまったり、何に対しても自信が持てなかったりと、連鎖的にループしているのかも知れません。

または、親や先生や友達など、近しい人々の繰り返しの発言や間違った多数決は、時に記憶を書き換えてしまうのです。

ですから、何か自分を悲観するような感覚が出て来た時、その根源を探しに記憶を旅するのです。

勇気を持って記憶に深く潜ってみると、イメージの中に上手く出来ず恥をかいている自分が見えることがあります。そして周りは、自分をバカにするように笑っています。

しかし意を決して周囲を見渡すと、ハッキリと顔が見えなかったり、普通の笑顔だったりもするのです。

実際にイジメられた経験には、相手の幼さを感じて下さい。イジメっ子を見る周囲の目は冷ややかであり、言いがかりの内容は可哀想なほど筋が通っていないのです。そして、もしかしたら自分自信も、誰かに同じようなことをしてしまったかも知れません。

そう、人は未熟で幼いのです。

それは完璧だと思っていた親や先生も同じで、立場や年齢というフィルターに覆われているだけです。
今現在、子を持つ親であれば、痛いぐらい意味が伝わるはずですよね。

仕事で失敗した時、落ち込むあなたを見て、責任を感じた上司がいたかも知れません。そもそも、初めてのことは上手く出来るはずがありませんから、周囲はあなたを攻めていたとは限りません。

思い込みと見え方、聞こえ方が記憶を増幅させ、定着させたのかも知れません。

記憶とは人には分からない、自分だけのものです。
そして他人は、過去の誰かの失敗を、いつまでも覚えてはいられないのです。

ですから可能な限り、これをネタとして笑い話に変換させてみるのです。

例えば『昔、仕事で大失敗しちゃって』と話し、その後の改善へ向けた修復の努力とやり方に尾ヒレを付けて話せば、誰かにとっては価値のある話に変わります。

失敗談は、勇気を与え人を救うのです。

そうやって、一つづつ丁寧に旅を続けて行くうちに、やがて記憶は素敵な思い出へと変化して行くことでしょう。思い出とは、再び辛さを感じるのではなく、振り返り楽しさを味わうものなのです。

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