世の中には『横柄で偉そう』な態度を取る人がいます。
そんな人を『幼い』と表現することもありますが、その年齢層は全域に広がっています。
横柄な態度と言えば『バブル世代のおじさん』をイメージする方も多いかも知れませんが、考えてみると時代背景や性別は関係なく、どの世代にも存在するものなのです。
楽しい雰囲気を一瞬で壊されてしまうので、とても困る存在なんですよね。
その度合いは別として、どこにでも居ますから、完全に関わらないのは無理だと思うのです。
なので今回は上手に付合うのではなく、上手にかわす方法を考えて行きたいと思います。
横柄な人の状態
人は産まれてから死ぬまでの間、ひたすらに霊を向上させる修行をしています。
しかし修行は、必ず良い方向へ向かうとは限りません。
どんどん自分のレベルを、下げて行く場合もあるのです。
向上を止め、我を振りかざし毒を撒き散らすことに、抵抗を感じなくなってしまった状態です。
横柄な人とは『霊のレベルが極端に低い人』という捉え方が出来るのです。
偉そうな人のタイプ
『人と同じだと安心する』という感情があります。
解釈は様々ですが、どちらかと言えば平和主義なのでしょうか。
しかし攻撃的な感情の持ち主は集団の中で『人を見下して優越感を得る』という心理が強くなって来ます。
どちらも本能として天が授けてくれたものですが、明らさまに出してしまっては良くありません。
人を見下しアゴで使い、命令をして怒鳴り付ける心理は『優越感に浸れる』という幼い考え方です。
ちょっとした『麻薬』のような感覚があるのでしょうかね。
何れにしても、何一つ良い方向へは向かいません。
偉そうな態度は『とても損をしている状態』ということに気付かない『鈍感な人』と言えるのです。
幼稚な考えとは
実は心の中を覗いてみると、いくつかの不安が隠されていることがあります。
その大半は、動物的な『威嚇』です。
自分を大きく見せる為に、先手必勝を実行しているのですね。
初対面では、大きな態度を取る相手を『社会的地位の高いお金持ち』と錯覚してしまうことがあります。
もう一つは『面倒を起こしたくないから従う』となることもあるでしょう。
当然ですが、そんな人付き合いはその場限りとなってしまうのです。
もう一つは、ただただ『我慢が出来ない』ということです。
正しく生きることに損を感じ、ストレスを溜めてしまうのです。
それを発散させる為に、人に感情をぶつけるわけですから、とても迷惑な存在としか言えないのです。
隠れ横柄
横柄な人は鈍感なので、周りの反応に気付けていません。
実は普段優しい人も知らず知らずのうちに近い態度を取ってしまうことがあるのです。
『隠れ横柄』とでも言いましょうか。
例えば家族に、ちょっとした指摘を受けたとします。
怒りの感情が込み上げて来るかも知れませんが、冷静に考えてみると図星だったりもするんですよね。
本当は言い難いことを『他人は言ってくれないだろうから』とわざわざ憎まれ役を買って出る場合もありますからね。
しかしそんな場面で、わざわざ相手の粗を探して言い返す材料を見付けてはいないでしょうか?
また、自分を抑えることが出来ず、決して言ってはならないことまで口に出してしまうかも知れません。
まずは、自分を知ることです。
積極的に攻撃していないだけ良しと考え、自分を見つめ直すことが第一歩なのです。
かわし方
ここまで読んで頂ければ分かるように、横柄な態度を取る方は否定を恐れます。
常に自分は攻撃されない安全な場所を確保し、そこから攻撃のみをしようとするからです。
そんな飛び道具の使い手を相手にしていたら、切りがありません。
いくらあなたの霊レベルが上だとしても、争ってしまうのであれば同レベルです。
結局は『相手にしないこと』でしょうか。
これは割と簡単です。
向き合えば腹も立ちますが、相手にしなければただの『かわいそうな人』に過ぎないのです。
ただ明らさまに偉そうにする人の、勉強の成績だけは良かったりするものです。
そして、まだまだ日本は学歴だけを意識する部分も多いですから困ったものなのです。
そう、一番厄介なのは『学歴のあるバカ』なのですよね。
賢いかわし方
結局のところ、相手を成敗するようなことはいけません。
正しさとは最後まで、正しいものなのです。
答えはあなたが周囲に『笑顔と理解を振りまくこと』です。
疑問に思うかも知れませんし、辛いことかも知れませんが大丈夫です。
結果は、直ぐに出ます。
理由は簡単で、周りが黙っていられないということです。
気が付けば、あなたの周りに同士が溢れているのです。
しかし、だからと言って攻撃してはいけません。
争いは争い事しか生みません。
少し観察すれば分かりますが、横柄な人はとても寂しい人生を歩んでいます。
まさに『自業自得』なので『反面教師』として捉えて下さい。
試練の時
人生に登場する面倒な人は、修行の為のアイテムなのだと考えています。
皆様もそうだと思いますが、なかなかの達人揃いで驚きます(≧∀≦)
一つ一つをゲームだと思い、向かい合うのも面白いかも知れません。
スリア出来そうであれば挑戦することで、自分のステージが向上するのです。
しかし時には、明らかに無理そうな相手が登場することもあるのです。
そんな時は、自分を傷付けてまで挑戦することはありません。
一目散に、逃げて良いのです。
なぜならば、お互いに学びの無い試練は無意味なのです。
そしてその時が、場を変える転機なのかも知れません。
良く言えば『次のステージへ向かいなさい』という天のお告げなのです。
共感しても受入れてはイケナイ
私は常に、理解を示す努力から入ろうとしています。
すると相手も『分かってくれた』となる場合が多いのです。
しかしそれは、相手を受入れた訳ではありません。
『あなたの言っている意味が分かった』というだけです。
完全に合わせてしまうのは、相手の為にも自分の為にも、決して良くないのです。
相手を一度受入れ取り込み、その先に諭すのであれば、それが最善です。
そしてこれが、霊の喜びでもあるのです。
『諭す』と言うと誤解を受けそうですが、私はいつも『人に優しく、みんなで楽しく』としか言いません。
いえ、それ以上の諭しなど存在しないのです。
スピリュチュアルな観点
横柄な人のオーラの色は、とても濁っています。
そして同士を引き寄せる力は、かなり強力なのです。
まれに見掛けるのですが、横柄な人が知らずに、霊レベルのとても高い方に絡む場面があります。
もはや、駄々をこねる子供のような雰囲気なので、結末は明らかです。
霊レベルのとても高い方は取り乱す事もなく、最後はとても穏やかな雰囲気にまとめて行きます。
一つ感心するのは事が済んだ後、横柄な人が『気付き』を受けているように思うのです。
そして急激に『善と悪の葛藤』が心の中で繰り広げられ、浄化を始めるのです。
それはまさに、悪魔に取り憑かれていたかのような苦しみ方なのです。
横柄な人のエネルギーとは『人を見下す優越感』なので、それを失った状態とはまさに廃人です。その先に『善と悪の道』のどちらの道を選ぶかは本人次第ですが、結局戻ってしまうのも弱い人間の特徴です。
克服する
考え方として、世の中には様々なレベルの人が存在し、日々成長を願っています。
ですから、迷惑を掛けたり掛けられたりすることは、日常なのです。
許せる範囲のことは、許しましょう。
いつまでも根に持っていると、あなた自身がレベルを下げてしまうからです。
許すとは『緩む』ことです。
緩めば病気も消え、オーラはやさしく輝きます。
とてもやわらかな雰囲気に包まれ、それこそ横柄な人に対しての結界となるのです。
それは、周りを見渡せば自ずと分かってくるはずです。