スピリチュアルな観点の入口で『偶然と必然』という表現に出会います。
そして論議はそれの『有る無し』へと移り、やがては『信じる信じない』へと発展して行くのです。
ところで相手の答えがどうであれ、批判をしてはいけません。
自分の経験とは、自分にしか分からない領域だからです。
それを棚に上げ『あなたに私の何が分かるの?何も知らないくせに』と攻撃的になる人もいますが、やがては天から、大きな気付きが与えられることでしょう。
何故なら『偶然と必然』は、どちらも存在するからです。
実は『引き寄せの法則』
まず前提として『引き寄せの法則』を知らない時期に『偶然と必然』に出会います。
偶然だと思っていたことが、必然なのではないかという新しい感覚です。
そして思い返す作業に入り『もしかして』がますます大きくなるはずです。
この紐付けこそが体感であり、第一歩なのです。
やがてスピリチュアルな観点で物事を考えるようになり、自分の知識との関連からある程度の謎が解けるようになります。すると『引き寄せの法則』をしっかりと理解出来るようになるのです。
偶然とは偶然である
今回のテーマは簡単なようで難しく、理解出来ない話かも知れないことをまず宣言しておきます。
この世には偶然も必然もありますが『偶然とは偶然である』ことを理解しなくてはなりません。
何故こんな話をするかと言えば、スピリチュアルな領域を信じ始めると『この世は全てが必然である』となってしまい、何でもかんでも結び付けて考えてしまう方がいるからなのです。
神は全ての現象に『必然性』を持たせている訳ではありません。
言ってしまえば、そこまで暇ではないのです。
確かにこの世の全ての現象は『網の目のように繋がっている』と言いますから、矛盾していると思うかも知れません。しかしそれは『善悪の行動』の話であり、これとは意味合いが違います。
『偶然』+『必然』=『必然』
偶然とはただの偶然ですが、必然には偶然の要素も入っています。
私達はついつい自分を中心に必然を考えてしまいますが、全ての人に必然は存在するのです。
それは『自分に必要なこと』であると同時に『誰かにも必要なこと』なのです。そんな偶然が合わさり、引き寄せによって必然へを発展したと考えた方が、分かりやすいかも知れません。
必然の条件
必然が『起こりやすい条件』という環境があります。
例えば部屋に閉じこもり、全ての情報を遮断した状態では絶対に起こりません。
自分自身がアンテナとなり、電波を捕まえに行くぐらいのハングリーさが必要になります。
すると本屋さんへ行ってもパッと気になるタイトルが目に入ったり、テレビを観ていても興味のある分野が放映されたりと、次々に向こうから訪れるようになるのです。今は昔と違い情報であふれていますが惑わされることは一切無く、輝いて見えたり浮き彫りになって聞こえたりするものです。
必然の危険性
必然とは霊の成長段階で、必ず降り注ぐ恵みです。
例えば悩み苦しんだ末、それでも前を向こうと決意した時に後を押し、確立させてくれる出会いがあるものです。それで今までが嘘のような晴れ晴れとした気持ちになるのですが、気が付くと相手に頼り切っていることもあるのです。
一言でいえば、依存です。
この状態は何でもかんでも相手に答えを求め、場合によっては助けてもらうことが当たり前となり、叶わなければ誰かのせいにしてしまうというサイクルに陥りやすくなります。
やがて周囲の声は耳に入らなくなり『安全地帯にいる』という勘違いも起こります。
そして恵みであった『必然』が消滅を迎えるのです。
この現象は、とても気持ちの落差が大きく以前よりも深い位置に落ちてしまう為、危険です。
回避するには自分と人を区別し『自分を救えるのは自分しかいない』ことを理解するのです。『結局、他人は他人だ』となってしまうのですが、自分で立つことを止めれば必然も消えてしまうのです。
一番悪いとされていることは『人のせいにすること』です。
なぜ自分への評価が低いのか、なぜ嫌われてしまうのか。
思い当たるのであれば、じっくり向き合い考えてみることです。
お互いのバランス
全ての人付き合いはバランスです。
・愛が欲しければ、まずは自分から愛する。
・協力して欲しければ、まずは自分から協力する。
・ほめて欲しければ、まずは自分からほめる。
これを続けていると、一方通行は叶わなくなります。
時々、いつもやって欲しいばかりで、いざという時は協力してくれないという人がいますよね。
そんな相手のことで悩んでいるって、おかしいと思いませんか?
協力的ではない人って、あなたにとってはエネルギー泥棒です。
何度も振り回され、また傷付くことが分かっているのに、いつまで『気づかないフリ』を続けているつもりですか?
あなたは相手のせいにしているのです。
このままだと『必然』がどんどん、通り過ぎて行ってしまいますよ。