気持ち・思考

『自分で気付き、自分で超える』助けず見捨てず見守る心

青池

精神論が浸透し始めると、一気に華やいだ人生へ転化することもあります。
それって本当は、今まで幸せに気付けなかっただけなんですよね。

しかし、ここで注意しなくてはならないことがあります。
それは知らず知らずのうちに、人へ精神論を強要している場合があるからです。

過去記事へも書いていますが、いきなり精神論を提示された場合、相手はどう思うでしょうか?
大概は『気持ちの悪い宗教を勧められた』となって、関係を絶とうとされてしまうのです。

心を配りたい気持ちは良く分かりますが相手の感情が見えずに、ついついやってしまうわけです。

実はこのようなことは、普通に話しただけでは伝わりません。
それだけ精神的な話は、デリケートで危険なのです。

それを踏まえ、最善とは『何もしないこと』なのです。

簡単に広めてはイケナイ理由

いきなりテンションの下がる内容で、ごめんなさい<(_ _)>

人は知識を得て更に効果が出れば、人に教えたいという習性を持っています。
これは一見素晴らしいことのように思いますが、相手からすれば何のことだか分かりませんよね。

冷静に相手の気持ちになって、想像してみて下さい。いきなり指導者ヅラされたら腹も立つでしょうし、もしかしたら自慢話として聞こえてしまうかも知れません。

感情的な部分はここまでとして、ちょっと確信を突いてみます。

人は霊(たましい)の成長を望んでいます。
運命がそれを導き、直面し『気付き』により初めて全身に浸透するのです。

成長とは、気付きです。
気付きから、答えが導き出されるのです。

それを気付かないうちに、答えを提示されたら相手はどう思うでしょうか?
ちなみに、カンニングの話をしているのではありません。

あなたがそうだったように『自分で出したい』のです。
更に自分で出さなくては、意味が無いのです。

全てが繋がった時の気持ち良さを知っているあなたであれば、分かるはずです。
答えは『自分でひらめき、気付き辿り着いてこそ』本物なのです。

導きや気付きの材料を与える

『他人』と言うと語弊があるかも知れませんが、あえて言いましょう。
自分以外は全て『他人』です。

それはいいとして家族や我が子には、やはり真相を伝えたいものですよね。
それでつい勘違いしてしまうのが、我が子の可愛さへの愛情の間違いです。

『一生苦労の無いように生きて欲しい』と思ってはいないでしょうか?
それは完全なるエゴであり、間違いです。
ライオンの子育てのように、親から離れた社会で学ぶべきなのです。

世間とは自分の感覚と違い、また家族とも違うのです。
しかし社会生活は、無意味に厳しくはありません。

よく『学生気分やゆとり世代』などと頭ごなしに言う方がいますが、若くても年齢を重ねていても、人間レベルの高い低いは満遍なく存在します。

そもそも、そのような批判をしている人自体、霊が幼いのです。

社会で正しく生きていれば、楽しく生活しながら学べるようになっています。
逆に間違いには、必ず制裁が下されます。

もちろん、この意見に賛成できない方も多いと思います。
『頑張っているのに報われない』や『会社が正当な判断をしてくれない』など意見は様々でしょう。
しかしそう思うのは、自分の何かが間違っているのです。

外に向かって文句を言うことをやめ、自分の行動や言動、考え方が本当に正しいのかを考える。
自分と向き合い反省をし、次の一手が生まれた時、人は成長をするのです。

人の為に出来ること

では、人の為に何も出来ないのかと言われれば、そんなことはありません。
見守り、そして導くのです。

『こういう方法もあるよね』や『こんな考え方もあるかも知れないね』など、頭を整理させる意味での言葉は有効になります。決して『ああしなさい、こうしなさい』などと言ってはダメです。

あとは本人次第ですから、これ以上のことは出来ないのです。

結局は自分の為

人の為と言いながら、人に優しくすることは自分の為になるのです。
これこそ因果の法則で『やったことは返ってくる』となるのです。

上手に諭してあげれば、将来的に感謝されることでしょう。
しかし無理やり教えれば、嫌がられるのです。

この場合あなたは『恩を仇で返された』という感覚を受けるかも知れませんが、実際は『人の嫌がることをして嫌われた』という、当たり前の図式が出来上がるのです。

結局、講演家や講師をやるのであれば話は変わりますが、一般の立場に身を置くのであれば『教える』ということはせず『示す』方が安全であり健全です。

あなたの笑顔や明るさは、周囲を癒し幸せを呼ぶのです。

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