学校でも会社でもママ友でも、どこへ行っても『いじめ』はあります。
時々、テレビなどでも議論されますが、とにかく話は進まず解決には至りません。
先生は生徒に対し『いじめはいけない』と教育しているにも関わらず、教職員の間にも派閥は存在し、いじめと取れる言動を聞くこともあります。
結局『いじめる側』には『いじめられる側』の気持ちは分からないわけですが、その逆も同じです。
『いじめは止めよう』や『いじめの無い社会』などの内容で標語化し、ポスターとして張り出されたりもしますが、あれほど効果の無い宣伝広告も珍しいです。
今回は、集団心理とスピリュチュアルな観点から『いじめ』の無意味さについて考えたいと思います。
一般的な『いじめ』への結論
今回は『いじめ』を題材としていますが、それはたまたま人の心理を説明するのに都合が良いからです。
問題に対し言葉を重ねれば、とても複雑なように感じてしまいますが、悪く言えば私達は単純で簡単な問題を一生掛けても解けない『未熟者』だということになります。
しかし人間は、そこまで愚かだとは思いません。
ここで『いじめ』に対しての話し合いや意見交換の末の結論を上げてみましょう。
・育った家庭環境や親が悪い。
・学校や社会の仕組みが悪い。
・いじめられる方にも問題がある。
どれも、ごもっともな意見ですが、未だに解決しないのはなぜでしょうか?
理由は簡単で、全て誰かのせいにしようとしているからです。
全ての悪の始まりは『不安』
人の行動は様々ですが、ちょっと見方をシンプルにする為に、子供の心理に触れます。
小さな子供は、伝わらなかったり構って欲しかったりすると、ちょっかいを出すことがあります。
これを『乱暴でワガママな子』と当てはめてしまいますが、その原因は『不安』にあります。
『不安』になると『攻撃する』か『落ち込んで泣く』か『我慢して拳を握り締めるか』何れにしても解消したいという心理が働きます。そんなことを繰り返しながら経験を積み、大人になって行くのです。
しかし、そんな心の成長を曲がった愛情や不正なやり方で超えてしまうと、正しい成長が出来なくなってしまい、更に大きな不安が押し寄せてしまうのです。
それは、あなたが今まで出会って来たちょっと『難有り』の人々を思い浮かべれば分かるはずです。
・『不安』だから、自分を大きく見せようとして、暴力や暴言を吐く。
・『不安』だから、ネチネチと愚痴を吐き続ける。
・『不安』だから、仲間を見付け誰か一人を攻撃する。
・『不安』だから、その感情を埋める為に、やたらと喋る。
ところで肉食動物は、お腹が空くと命の危険を感じ不安になり、狩りをします。
また、草食動物は集団で生活し、自分へ攻撃される確率を減らします。
これらのことから何となく、生物の本能が感じ取れるような気がして来るはずです。
安定を求め、安定を嫌う?
人は間違った思考になると、自分よりも下であろう人間を探し『不安』を解消しようとします。
これはいじめを受けている人でも、自分の身代わりを探す心理があるので同じです。
明らさまな例として、お金や学歴を掲げ威張っている人の中に、心から幸せを感じている人はいません。
本当ならば『君、そんなに威張っちゃって可哀想だね』と言ってあげられれば良いのですが、間違いなく怒り出すので、そんな面倒なことをする人はいないでしょう。
しかしそれは、誰の心にも潜んでいる『悪』であることだけは、知っておかなければなりません。
『人のふり見て我がふり直せ』は正にそれですよね。
しかし困ったことに、心は安定を求めるくせに、安定が続くと不安になります。
鏡のような湖を見ると、石を投げ込みたくなるような心理でしょうか(・ε・)
実は心は、止まることが出来ません。常に変化し続けるのです。
ですから『心変わり』とは自然の流れを言うのです。
『安定した心』とは良い意味で使われる表現ですが、それが続くと『つまらない』とか『飽きた』となり、今の幸せに感謝出来なくなってしまいます。
そこで学ばなくてはならないのが『安定とは何もしないことではない』ということです。
常に楽しいこと、新しいことを探し続け、ワクワク出来るように考えるのです。
いつも楽しそうでワクワクしている人が、人をいじめたりするでしょうか?
いじめを実行する人は、本当の人生の楽しみを知らない可哀想な人なのです。
心は何もしないでいると、ふわっと奥底から不安が湧き上がって来るように出来ています。
それを止める方法は、楽しいことや面白いことを考える思考と言葉だけなのです。
ちなみに『怒りながら笑う人』を演じる竹中直人さんは霊のレベルが別格です(≧∀≦)
いじめの心理
人は古代から集団で暮らす生き物です。新たな土地の恵みを求め、戦を繰り返して来ました。
現代では自国生産が叶わなくても、輸入などでまかなえる為、国取合戦は必要なくなりました。
しかしその名残は、未だ納まりそうもありません。
戦争ではないにしても、学校や職場へ行けばいつの間にか『グループ』が出来上がり、やがては敵対心を持ち始めます。ところで学校は勉強する施設で、会社は仕事をしてお金を稼ぐ労働の場です。
なのに『どうして仲良く出来ないのか』と言うと、冒頭でも触れた『人のせい』にしたがる心理です。
もう一つは、自分よりも上手く生きていそうな人が気に入らないからでしょう。
例えば刑事ドラマなどで、袋小路に追い詰められ行き場を失った犯人は、最後には飛び掛かって来るか、たまたま居合わせた誰かを人質に取るかします。これがいわゆる『人のせい』です。
自己解決、もしくは自己消化出来ないということで、罪名は『傷害罪』です。
何となく気に入らなくていじめる心理は、因縁を付けてお金を奪う犯罪と同じです。
罪名は『恐喝窃盗罪』でしょうか。
とにかくどちらも、刑事裁判にはならないにしても犯罪者レベルです。
それでも『いじめ』がなくならないのはなぜでしょうか?
それは、罪の意識が無いからです。
人をいじめ、自分の欲を果たしていると習慣化されてしまいます。
言い方を変えれば、楽な逃げ道なのです。
ですから、相手が辞めるなどして居なくなったら、次の相手を探します。
結果、大変な事態になるまで気付かず、その負のループは受け継がれて行きます。
そして最悪なのが『自分がいじめる側にいないと、今度は自分がいじめられる』という不安と恐怖に襲われてしまうのです。これは外敵ではなく、自分の中にある癌細胞ですから、簡単に逃れることは出来ません。
いじめる側はどれほど『損』をしているのかに、気付いていないのです。
もしくは、それに気付けるだけのレベルまで到達していない『幼い霊』なのです。
集団心理の真実
実は今回の本題はここからで、少し変わった方へ向かいます。
さて『いじめられる側』は、いつもいじめられていると思っていますよね。
しかし、矛先が自分でない時はどうでしょうか?
じっくりと過去を、思い出して下さい。
自分では『いじめ』だとは思っていなくても、相手はどう取ったでしょうか?
相手の気持ちにまで意識を伸ばし、あの時、あの頃の状況を想像して下さい。
今、心の中で『誰かのせい』にしなかったでしょうか?
『仕方なかった』と思わなかったでしょうか?
自分のみにしか分からない『過去からの学び』の時間です。
もしかしたら、あの時の報いを今解消しているのかも知れません。
草食動物は、常に怯えています。
その心理は時間と共に進化として体にも現れ、目が左右に離れ常に周囲を気にしたり、耳を大きくすることで、小さな危険もキャッチします。
大きな群で生活をし、ライオンに襲われた時は一斉に逃げ、誰かの犠牲を横目にホッと一息付くのです。
常に自分への危険は、ゼロではありません。
しかし、群に所属することで確率を引き下げています。
捕まり食べられてしまうのは、いつも弱い者です。
あなたは自分を守る為に、弱い者を探していないでしょうか?
『自分じゃなくて良かった』そう思っていないでしょうか?
私達は人間ですから、野生動物とは違います。
もしも今、標的になっている人が側にいたら、勇気を与えてあげて欲しいのです。
声を掛けてあげて欲しいのです。
相手はライオンではなく、あなたと同じ人間です。
食べられてしまうようなことは、絶対にありません。
あなたが励ますことで、あの人は助かるのです。
あの頃の辛かったことを、思い出して下さい。
あの時、あなたを救ってくれた人は何をしてくれましたか?
何とか元気を出してもらおうと、声を掛けてくれたはずです。
その想いを、ここで断ち切ってはいけません。
なぜなら、あなたが助けたい人も、あなたを助けてくれた人も、前世で手を取り合った仲間なのですから。