人生の中で、最も無意味なことは『恨みの念』です。
恨みがどれだけ自分に損を与えているのか、分からないから人は悩むのでしょう。
物事の受け止め方は人それぞれですから、全てを整えることは不可能です。
しかし負の渦の中から、自分を救い出すことだけは出来るはずです。
今回は簡単そうに見えて、とても難しい話です。
恨みの仕組み
まず、前提として記載しておきます。
『いじめられる側にも問題がある』という意見がありますが、あれは『いじめる側』をただただ正当化したいだけの低レベルな言い訳です。
いじめは犯罪ですから、今回の内容とは異なります。
さて、人間は失敗を繰り返しながら成長して行く生き物です。
一つの目的に対して、いくつかの方法を考え出し、優先順位を付けて取り組みます。
失敗すればそれが経験となり、次の方法を試すのです。
表現を変えれば『人生とは選択の繰り返し』とも言えるのです。
しかしそこへ自分以外の『人』が加わると、一気にややこしくなります。
理由として『自分の選択の結果』ではなくなってしまうからです。
やがて、思い通りにならないイライラを『あいつがいたから失敗した』などのように転化させるのです。
恨みとは『人のせい』にしたがる心の動き
『恨み』と同様に『恨みっぽい』という言い回しがあります。
これは恨みが慢性化して自己消化出来なくなり、外部に投げることでしか恨みを抑えられなくなるという症状です。これには『気付き』というブレーキを持ち合わせていないとかかってしまう感染症のようなもので、ちょっと周りを見渡せばこのような方が必ず一人や二人はいるはずです。
では、なぜ『人のせい』にしてしまうのかと言うと、単純に『楽だから』です。
しかし『楽』とは逃げ道でもあり、やがては霊の成長を止めてしまいます。
すると人の指摘を聞かなくなり、ますますマイナス方向へ進んでしまうのです。
甘やかした表現をすれば『人の習性』なのかも知れません。
どれだけ損をしているのかを知る
自分の恨み癖に気付いたのであれば、治す方向へ向かわなくてはなりません。
その方法に『考え方を変える』というのも重要なのですが、そもそも現在の自分がどれだけ損をしているのかを知らなくてはなりません。これも先に書いた『人生の選択』の一つであり、これからは『自己消化するのか』もしくは今まで通り『人のせいにする』のかの二択になるのです。
『人のせいにする』とはどれだけ悪いことなのかを知りたければ『自分は悪くないのに、自分のせいにされた』時のことを思い浮かべれば分かるはずです。
・人間レベルの低い可哀想な人だ。
・今後はもう付き合うのはやめよう。
・なるべく近寄らないようにしよう。
相手に対して、このような感情を抱くはずです。
それが周囲から自分に対して向けられているのだとしたら、かなりショックだと思いませんか?
波動も人相も悪くなる
『恨む』とは『常に機嫌が悪い状態』です。
人は『楽しさ』と『怒り』を同時に感じることは出来ず、必ずどちらか一方です。
『楽しい状態』を長く保てる人は『楽しい人』となり『不機嫌な状態』を保つ人は『悪い人』という印象を与えます。理由として、全ては出す波動に現れるからです。
そして同時に『表情』へも現れ、やがてそれが定着し『人相』となるのです。
『顔』とは人生の結果であり、見れば状態が分かるものなのです。
結果と意味を知る
ここまでのことを『当たり前』と解釈するのであれば、今のあなたにとって、まだ時期ではないのかも知れません。逆に共感出来たのであれば、大きな壁が一つ崩れたと考えて良いでしょう。
それでも難しいのは『一旦受け入れる』余裕です。
・自分の行動の反省点はどこだろう。
・次はどうすれば上手く行くだろうか。
・相手はどのように考えたのだろうか。
行動と結果を振り返り『次の一手』を考えることは悩みではありません。
上手く行かなかった結果に対して『怒り』を覚えてしまうから、最後は悩んでしまうのです。
結果とは経験ですから、もっと『大切なこと』として考えるべきなのです。
ついつい『だって・でも・けれど』と言いたくなるかも知れませんが、端から見ればただの現象であり、大したことではありません。更に原因を誰かに押し付けることで相手が傷付き、逆に恨まれることもあるでしょう。人間の歴史の中で繰り返されて来た責任の押し付け合いとは、戦争にまで発展することもある、とても哀れな行動なのです。
恨みの念を浄化する
例えば親を殺されたとか、腕を切り落とされたというのであれば、相手は犯罪者として罪を償うべきです。また、明らかにあなたをいじめて来る相手がいて、それに対して恨むのであれば冒頭に書いたように『いじめ』ですから解決方法は別です。今回は法に触れないレベルの話をしています。
スピリチュアルな観点で『恨み』の解消を話す場合は『許す』という答えに辿り着きます。
しかし許せないから恨むので、ここで理解が止まってしまいます。
ところで、あなたの許せない相手とは、あなたの人生に必要な人なのでしょうか?
この先もずっと恨み続けるのであれば、もはや『付き合わない』という選択があるはずです。
人も地域も他にたくさんありますから、別の場所で生きることも出来るのです。
しかし最後は『今の会社を辞める訳にはいかない』となる訳です。
ここで指摘したいのは『恨むことも会社を辞めることも出来ない』という自分への縛りが、あなたを苦しめています。そしてあなたを縛っているのは、あなた自身です。
ですから相手を許す前に、相手を許せない自分を許してあげなくてはなりません。
ここから先は、瞑想に入ります。
目を閉じ、そっと自分に問い掛けてあげて下さい。
ゆっくりと呼吸を整え、優しく受け入れて下さい。
すると、どうにも出来ずに苦しみ、疲れ果てた自分と対面出来るはずです。
今までの自分には見えなかった自分です。
あなたはこれほどまでに、自分自身を苦しめていたことに気付きます。
優しく抱きしめ、そして互いに許し合うのです。
これこそが、霊との対話です。
あなたは、あなた自身を掛け替えの無い存在として受け入れられるはずです。
自分を許せなくても大丈夫
あなた自身に許しを与えられるのは、あなたしかいません。
でも、今直ぐに許せるとは限りません。
今まで深く潜っていたのであれば、そう簡単に抜け出すことは出来ないでしょう。
例えば、私のカウンセリングに辿り着いた方にアドバイスを行うと『私はちゃんとやっています』と訴え、攻撃的になる方も中にはいます。しかし、ちゃんとやっているのにずっと不幸が続くことはありえません。
何かが違っているのです。
こちらの配慮が足りないのかも知れませんが、指摘に対して反発し相手のせいにするという典型的な例を見たような印象を受けます。私には何の害も無いので困りませんし、導くことが出来なかったという反省が受けられます。これこそが、マイナスをプラスに変える精神だと思います。
ただ、反発する気持ちも分かるのです。
しかしそれは、自分の正しさアピールした結果です。
あなたの感情が自由なように、他人があなたをどう思うかを、あなたが決めることは出来ません。
まずは『主張しないと追いやられてしまう』という恐れを取り除かなくてはなりません。
そしてあなたの主張が本当に意味があるのかを、今一度考えてみることです。