『いつも失敗ばかり』とか『なぜ私だけが病気に?』と思ったことのある人は、意外と多いはずです。理由はとても単純なのですが『なかなか受け入れられない』というのが、正直な意見ではないでしょうか。
今回は人生を諦めかねない『自分だけに降り注ぐ試練』について考えてみたいと思います。
脚下照顧(きゃっかしょうこ)の教え
自分の人生を振り返ると、節目節目でいつも同じパターンの経験をしている事実に気付くことがあります。例えば転職で、いくつか職場を変えたとしても、毎回必ず、うるさい上司が自分の上に付いたりすることがあります。
これを不運と捉えるか、お知らせと捉えるかで、霊(たましい)の成長に大きく影響します。
さて『脚下照顧』という言葉があります。意味は『置かれている状況の理由は自分にあるから、まず自分の足元を見なさい』というものです。『灯台下暗し』に似ている部分がありますが、より精神的学びに結び付きやすい言葉だと思います。
人は自己防衛本能の表れか、必ず被害者意識を押し出すクセがあります。
ではそもそも、失敗や病気の原因は誰にあるのでしょうか?
プレッシャーを与える周囲のせいでしょうか。もしくは治せない医者のせいでしょうか。
これが『Yes』だとしたら、本当に可哀想な人生になってしまいます。
では『なぜ、うるさい上司がいつも私の側だけにいるの?』となった時、その逆を考えてみれば答えが出やすいでしょう。
何も言わない上司の場合、あなたが怠けてしまう性質を持っているのかも知れません。
もしくは、どんな理不尽なことも受け入れてしまう『舐められる性格』なのかも知れません。
いづれにしても組織とは、あなたにとって丁度良い相手で構成されますから、それぞれに意味があるはずです。まずは自身を見直し第三者化して、周囲からどう見えるのかを想像してみて下さい。
すると必ず改善点が見えてくるはずで、これに向き合うことが学びとなるのです。
例外として、完全な言い掛かりを受けてしまうような位置にいる時『いち早く退け』という守護霊の導きの場合もあります。
ただし、そこへ迷い込んだ自分に何かしらの原因があることを忘れてはいけません。
望むから不幸がやって来る
いつもニコニコしている人がいたら『楽しそうだから仲良くなりたい』と思うのが自然です。
逆に気難しそうな顔をしている人には『近付きたくない』と思うでしょう。
無表情だとしたら、魅力的には見えないはずです。
では、あなたは普段、どんな顔をしているでしょうか?
どんな態度で、相手と接しているでしょうか?
言葉や配慮に、愛はあるでしょうか?
自分が望むことは、まず与えて下さい。
必ず、巡り巡って帰って来ます。
もしも不幸が続いているのだとすれば、あなたが周囲に不幸を与えているということになります。
失敗が続くのであれば、改善しようとしていない証拠です。
このサイクルに気付き、方向転換しなくては絶対に良くはなりません。
しかし向きを変えた途端、一気に世界感が変わるのも『宇宙の法則』の特徴です。
世間が言うほど、世間は悪いものではないのです。
病気という『お知らせ』
人間の体とは、食べ物と思考の二つのみで構成されています。
これを、シンプルに考えてみましょう。
健康に配慮した同じ食べ物を口にする双子がいたとして、一人が病気になったとしましょう。
すると原因は、考え方に絞られます。
クヨクヨ落ち込んだり、誰かを恨んだりを習慣にしてしまうと『気』が弱くなり巡らなくなります。停滞とは死を意味しますから、全てを錆び付かせてしまうのです。当然、毒が蔓延し体を蝕み、やがて病気になります。そこへ薬を投与しても、一時的に症状を押さえられるだけで、完治には至りません。そして繰り返すうちに、慢性化してしまうのです。
ですから考え方を改めない限り、病気は治らないのです。
逆に不摂生や乱れた食生活を続けた場合、最終的に血液が汚れ体に不調が起き始めます。
具合が悪くなると思考がネガティブになり、負の連鎖へ飲み込まれてしまいます。
やがて、やたらと長い病名の付いた難病に陥るのです。
二つのうち、どちらかが掛けても行き着く先は病気なのですが、決して難しい話ではありません。
なぜなら、どちらも生きる為に必要な要素であり、これこそが霊の学びだからです。
さて、そもそも病気とは結果であり『間違ってますよ』というお知らせです。
指摘されている訳ですから、無視すれば結果として悪くなるだけです。
いつまでも放置すると、神様から『帰っておいで』となり、死んであの世に帰るのです。
現象の必要性
私自身の体験談ですが、極度な腰痛と肩こりで苦しみ、ほとんど寝たきりに近い生活を送っていたことがありました。早く脱したい気持ちは強いのですが、生活を戻そうとするとギックリ腰を繰り返すのです。
そんなある日『その場しのぎではない、根本的な改善方法を知りなさい』というお知らせを受け取ったのです。それから、布団の中でひたすら書物を読みあさり、現状の意味を理解しました。
ただし、極限であったからこそ、受け入れる気になったということも否定は出来ません。
なぜなら人に伝えても、その人が欲していなければ響かない情報だからです。
結局は自分で感じ、受け入れ行動しなければ改善しないのだと痛感しました。
そこから怖さを克服しながらのリハビリを行い、無事に健康体へ戻ることが出来ました。二度と経験したくない辛い時期ではありましたが、今では素晴らしい体験として心に刻まれています。
そして『全ての現象は、必要だから起こる』という究極の答えに辿り着いたのです。
ですから不都合が起こった時、感情的になるのではなく『どうすれば円満に解決出来るか』と『どんなお知らせなのか』という観点で進めると、あっさり解決してしまうものです。
乗り越えられない試練は絶対に起きないですから、出来ることから始めてみて下さいね。