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お参りしたら酷い目に?『縁切り神社』の間違った参拝方法

鴻神社

神社への参拝は日本人にとって、特別な行いと言えます。
また、美しい建造物や神秘の魅力に引き寄せられ、世界中からも多くの観光客が集まります。

そんな中『縁結び』ではなく『縁切り』として有名な神社も存在します。
今回は『縁切り神社』を訪れる際の、正しいお参り方法と考え方を記載致します。

噂が噂を呼んでしまう

『縁切り神社』とは、単に縁を切るのではなく、その後の縁結びまでがセットになっています。
イメージの一人歩きもあるのですが、どちらかと言うと『黒魔術』のような解釈をしている方も少なくはありません。エンターテイメントとして楽しめるのであれば、それでも良いのですが、不安を募らせてしまったとしたら、全く意味がないのです。

さて、人間関係を示す相関図は、360度が完全に埋め尽くされています。
外界との関係を断ち切っていなければ、あらゆる繋がりが記せることになるでしょう。

ここで、分かりやすくする為に、例を上げます。
プールに浮いているとして、自分の脇にある水を手でどかしたら、どうなるでしょうか?
直ぐに他の水が、そこへ流れ込んで来るはずです。

これは『圧』の関係から、空いた場所を直ぐに埋める流れがあるのです。
逆に言えば『圧』のおかげで浮いていられることにもなります。

実は人間関係にも同じことが言えて、縁が切れれば次の縁が舞い込んで来るようになっています。
これは良し悪しは別として、友人関係を思い返せば納得出来るはずです。
もしかしたら『友達が1人もいない』という方がいるかも知れませんが、それは立場や密度や信頼度が薄いだけで、相関図自体は埋まっているはずです。

ですから完全に『断ち切ったまま』にすることは出来ないのです。

縁を切る意味

まずは『縁を切ること』の誤解を解いておきます。

・とても嫌な上司がいるので、どこかへ移動になってもらいたい。
・姑と合わないので、早く死んでもらいたい。
・友達と険悪になり、もう会いたくない。

一般的に、このような相手との縁を切りたいと思っているのではないでしょうか。人生には『合わない相手』が必ず出て来るものですが、全ては学びの為にあることを忘れてはいけません。

結果的に、合わないのであれば、会わなければいいのです。

次に出て来る言葉は決まって『そうもいかない』となるはずですよね。
だいたい話は、ここで終わってしまうのですが、結果的に『本気』ではないのです。
言い方を変えれば、まだ我慢が出来る範囲なのでしょう。

一応ですが、相手も人間なので、実際は話すと分かり合えることが多かったりします。
もしかしたら自分の中で、相手を悪者に仕立て上げている部分があるのかも知れません。

『縁を切ること』とは自分自身の覚悟です。
会わない為に出来ることを、考えてみて下さい。

・会社を辞めるか、上司に直接不満を伝えに行く。
・姑と別居するか、離婚する。
・他の友達を探すか、転校する。

ちょっと乱暴ですが、方法だけを考えたとすればこうなります。
更に『そうもいかない』となるかも知れませんよね。
でも、これぐらいの覚悟を持って、縁切り神社へ参拝すると効果があるのです。

『どうせ変わらない』という『自分の弱さ』を断ち切るのです。
人との繋がりが『紐』だとすれば、こちらにも切る権利があります。

相手の不幸を望むのではなく、現状から動き出せない弱さを知るのです。

悪縁を切り良縁を掴む

縁切り神社にある『絵馬』に、恨みの念が込められたものを多く見掛けます。
残念ですが、ここでも『引き寄せの法則』が働きます。

それは必ず、今のあなたの状態と同じような人がやって来るのです。

悪人には悪人のコミュニティーがあるように、恨みの念を込めれば、同じようなタイプを引き寄せてしまいます。そして近い将来、また縁切り神社を参拝したくなってしまうのではないでしょうか。

神社にお参りをすることは、弱さや負の流れを断ち切り、新たに生まれ変わる決意を伝えに行く意味もあります。それには『全ての存在が自分に気付きを与えてくれたこと』に、感謝を持つのです。

また、人付き合いには限界があります。
いくら顔が広くても、全ての人と向き合うことは出来ません。
この概念から、出会いの多い人には、別れも多く訪れるのです。

ですから縁とは、自分で探し選び付き合うものなのです。

そして、もし今の関係に疑問があるとしても、放さなくては新しい縁は生まれません。
限られた時間を『誰とどう過ごすのか』を、しっかりと考えなくてはならないのです。

人生の主人公は、自分自身ですからね。

神社のご利益について

最後に神社の存在について、書いておきます。

神社とは集落の守り神であり、心の寄りどころです。
『気』の集結する穴とも言われており、神聖なる場所で手を合わせることで、自分自信の偽りを正す意味があります。そうやって清められた先に、御利益が待っているのです。

一応、商売的な要素も含まれるので大きな声では言えませんが、お札を見れば分かるように、交通安全・商売繁盛・安産祈願などの多くの項目は、実は全て同じ波動です。

言い換えれば、万能薬のようなもので、お金では手に入りません。

まずは覚悟を持ってお参りし、清められた精神で良き波動を受け取るのです。
神社とは、これを円滑に行える波長を合わせやすい空間なのです。

まさに神様からのプレゼントなので、恨みや呪いをどうにかするような場所ではないのです。

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