親子はどんな関係であっても、生涯での繋がりは変わりません。
親は親であり、子は子であり、そしてそれぞれが独立した人間です。
悲しいことですが、生きていれば必ず、親(家族)の病気や死に直面します。
その時に、どう解釈するか。
今回は親の教えと、霊(たましい)の成長について話します。
寿命の長さ
初めに今回の表現は『親の死』という関係を例に上げていますが、これは逆の『子の死』ということでも同じです。それぞれの立場や心の状況で、置き換えて読んでみて下さい。また、この話には『人の生まれ変わり』である『輪廻転生』が含まれています。不快に感じる方は、お控え下さい。
さて、全ての生物には寿命があります。
種類により長さは異なりますが、それは人間が定めた時間での比較であり『一生』という意味では変わりません。昔から『セミの一生』という話がありますが、あれを『短いから可哀想』という伝え方をしている方に対しては、違和感を感じてしまいます。
人は肉体を与えられると同時に、霊が宿ります。
体とは『空(から)だ』とも表現され、舟のようなものです。
生涯は『霊を磨く為に与えられた限られた時間』であり、長ければ良いというものではありません。
全ては『今世で何を学ぶか』に掛かっています。
親の願い
肉体としての親の想いは、絶やさずに繋げる『子孫繁栄』です。
ですから自分が犠牲になり死んだとしても、子を守ろうとする本能があるのです。
これは、細胞の若さと新鮮さから算出される『順位』が優先されます。
もう一つは、霊としての親の願いです。
霊とは『愛』ですから、生涯を掛けて与え続けます。
親子であっても肉体と霊は別なので、思い通りにならないイライラを感じることがあります。
また、親の霊の方が未熟な場合もありますので、これらも含めて学びであり、愛なのです。
親の病気や死
病気や死とは因果で、因果とは原因と結果です。
例えば、美味しいものばかり食べて運動もしなければ、必ず何かしらの影響は出て来るはずです。
食事に限らず、常にイライラし怒っているとしたら、普段から緊張状態にあることになります。
病気とは、その延長線上にあり、警告の意味が含まれています。
警告を無視したり、発見が遅かったりすれば、死に直結してしまうかも知れません。
一般的には、年齢を重ねた肉体の方が影響が出やすいので『親の死』の方が多くなります。
これを『霊の愛』として表現するのであれば『身を持って伝える』ということになります。
ですから、親の病気や死に直面した時こそ『全力の教え』として受け止める必要があるのです。
そして、前世も来世も共に学んだ『ソウルメイト』としての繋がりを感じて下さい。
全力の教えの意味
それでは、なぜそこまでして伝える必要があるのでしょうか?
人は日常生活の中で、感謝を忘れてしまいがちです。
『ありがとう』の反対が『当たり前』のように、普通に対して不満が湧いて来るのです。
その状態では、霊の成長は望めません。
しかし、そうなると表面を硬い甲羅で覆われたような状態となり、聞く耳を持てなくなってしまいます。
例えば『勉強しなさい』と言っても聞かない子供が『0点を取った』事実に対して変化があるようなイメージで、要は困ってないのです。
それが勉強程度ならばいいのですが、死に直結する病だった場合、話は変わってきます。
覆っている甲羅をカチ割り、霊へ直接訴える訳ですから、とても強い愛なのです。
普段は自分では響かせることの出来ない範囲なので、これを一つの『お知らせ』と捉え、節目であり変わり目であると認識すべき時なのです。
落ち込んでいる暇はない
家族が病に倒れた時、家族もまた大きいダメージを受けるものです。
しかし、その感情に従ってしまうと共倒れになってしまいます。
自分以外の人を、どうにかすることは出来ません。
だからせめて、自分の心には火を灯して欲しいのです。
あなたは親に、愛を与え続けてもらいました。
あなたは子に、愛を注ぎ続けて来ました。
しかしこの世に、一方通行の愛はありません。
与えたもの、受け取ったものは、消えてなくなることはないのです。
あなたの霊は、その愛に気付いているはずです。