スピリチュアル

成長しない人、向上を放棄し諦めた人の結末

鹿の親子

人は人間同士の付き合いから、多くを学びます。
困ったことが起きたとすれば、それは今が学びの時なのです。

ピンチをチャンスと捉えることが出来たとすれば、乗り越えた先には必ず良いことが待っています。
正しく成功している人達は、皆それが出来ていると言えるのです。

しかし、なかなか上手く行かないと感じている方も多いでしょう。
今回はその理由と仕組みを理解し、正しく進める方法を記載したいと思います。

生きることの意味

過去にも書いていますが、大切な基本なので何度でも書きます。
『人はなぜ生きるのか?』そんな疑問から立ち止まってしまうこともあるでしょう。

答えは『霊の成長』です。

今、意味が分からなくても、答えは必ずこれなのです。
そして、理解しようとする気持ちがあるかどうかで受け止め方も異なります。

前世までに出来なかったことを『今世こそはやる』という気持ちから成長が始まります。
その集約は『ピンチをチャンスと捉えることが出来る』という思考の修行です。
そして今世叶わなかったとしても、来世があるという更なる希望に繋がるのです。

実はこれを理解せずに生涯を終える方も多いのですが、今直面したのであれば出会いと捉え、真摯に向き合うべきだと考えます。
霊の成長とは奥の深い意味を持ち、気付いてしまえばとても簡単なことだと分かるはずです。

霊の成長を放棄した人々

人間の肉体は二十歳頃にピークを迎え、徐々に衰えて行くものです。
しかし心の成長は、死ぬまで向上し続けます。

時々、若者が年配者を馬鹿にするようなシーンもありますが、これは子供が駄々をこねるのと同じで、精神的には自然な現象と言えます。
逆に年配者が若者を馬鹿にするシーンは、長く生きる中で何も学んでこなかったということです。

別な例も上げます。

・職場で頑張って仕事をすると、責任者を任されそうなので適当にやっている。
・集団に紛れてポイントだけ抑えていれば、楽が出来る。
・反発し反抗的な態度を取れば、面倒なことは頼まれない。
・自分がやらなくても、誰かがやってくれる。

これは年齢を問わず『賢い人生の渡り方』だと本気で思っている方もいるようですが、確実に間違っています。理由は、正しい努力と言えないからです。そしてこの状態が続くと必ず悪いことが待っているのですが、単なる脅しなどではなく、ちゃんと根拠のある内容です。

楽しいと思っている時は楽しい顔、悪い企みは悪い顔になるように、人は考えていることが顔に出ます。その割合で人相が決まり、人柄が決まるのです。

これを先ほど上げた例に当てはめてみれば分かりますが、とても冷酷でつまらない思考は人相に現れ、やがて引き寄せの法則により同じような人間を引き寄せます。
空気と同じですから、冷たければ自然と下に下がり、やがて地獄へと落ちるのです。
自分の出した毒の結果ですから、まさに『自滅』へと向かうことになります。

周りを見渡し、冷酷でつまらない人々に囲まれているとしたら、まずは自分自身に解いてみることです。

スピリチュアルな考え方

ここまでは『引き寄せの法則』なので、冷静に考えてみれば思い当たる節もあるかと思います。
しかしそれでも解決出来ないことって、あるんですよね。
ここからはスピリチュアルな領域ですので、興味のある方だけ読んで下さい。

さて、先に上げた『霊の成長を放棄した人』はその後どうなるかをお話しします。

実はその状態が続くと、守護霊は護衛を止めてしまいます。
とても無防備な状態なので、悪霊に取り憑かれてしまうわけです。

表現として微妙かも知れませんが、我慢して読んで下さいね。
取り憑かれる種類があるのですが、基本的には4つに分けられます。

・霊力が強く意地悪で直ぐに噛み付きケンカを仕掛け、人との境界線を超えるタイプ。
・小手先の浅はかなテクニックを過信し、表面を取り繕い感情の起伏が異常なタイプ。
・頭が悪く鈍感で、人のプライベートを探り、発言や行動が下品なタイプ。
・暗い性格でネチネチと執念深く、心配性なタイプ。

周りを見渡せば、必ずいるはずです。

そして、確実に人相に現れるので同類のタイプは直ぐに紐付け出来ます。例えば上記の一番目はキツネ顔で目は細く輪郭は三角です。じっくり観察してみると誰にでも分かるはずです。

間違えやすいのは、霊の成長を放棄しているだけであって、勉強は出来たりもするのです。
すると学歴を元に人を馬鹿にしたり、見下したりするのです。

霊の成長とは良い種を奉仕の気持ちで振り撒き、その恩恵に感謝し続けることですから、世の役に立たず、悪影響を与える行動や言動は、まさに悪霊の仕業なのです。
そして一生学ばず、一生感謝されずに今世を終えるのです。

価値のある人生

一見、言いたいことを言って、やりたいようにやっていると錯覚してしまうかも知れませんが、実はとても寂しい人生を送っています。

誰にも信用されず距離を置かれ、辛くても助けてもらえず、そのストレスを攻撃としてしか解消できないわけですから、まさに無意味な一生です。

本来人には価値がありますし、価値があるからこそ今世が与えられているのです。
そして楽しく生きられるよう、人は守られた存在でもあります。

必然とは正当な努力の結果であり、道標であり、ご褒美なのです。

霊の成長とは、辛い修行ではありません。
人に喜ばれ、それが自分の喜びになることが、この世で最高の価値なのです。

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