人は先人に教えを受け、それを自身で解釈し、血となり肉とする訳です。
そうやって人が人を育て、技術や知恵を成長させて来ました。
しかし世の中には、能力がありながら上手く生かせられない人々もいます。
今回はその理由と、そもそもの法則を考えてみたいと思います。
人は一人では生きられない
人は弱い生き物です。
分かりやすく言えば、もし生まれた赤ちゃんをそのままにしたら、間違いなく死んでしまうでしょう。
親は子を育て学び、子はその姿から学ぶのです。
そうやって人は今日まで、命を繋いで来ました。
知恵とは『行動の結果』を示したものであり、いわゆる統計学です。勿論その中には『思い込みによる勘違い』も多く含まれてはいますが、それを選別することもまた、知恵であり経験なのです。
教えたくなる欲と習性
人は発見や知識を『人に伝えたくなる』という欲を持っています。
『内緒の話』を『ここだけの話』として、よく耳にするのはこの為です。
仕組みは『知識人として認めてもらいたい』とか『褒めてもらいたい』という心理的快楽の欲求であり、これもまた生きる本能なのでしょう。
欲望のままにすると、ただ迷惑な人になってしまいますが、これを理解した上で使うことは、命を繋ぐ知恵になるのです。
良い知識とは広める為にある
霊(たましい)の成長と気付きは、密接な関係にあります。
自ら行動し得たものは、結果はともかく、必ず経験と知識になります。
実は、この成長こそが生きる為の活力であり、喜びなのです。
ここまでは自身の成長の話ですが、得た知識を広めることこそ使命の領域になるのです。
ここで、例を上げます。
仕事上の付き合いで、ある音楽家と関わることがありました。
まだまだ駆け出しの身でありながら、とても素敵な曲を書くのです。
私はその才能に、大きな可能性を感じていました。
しかし、なぜか極端に出し惜しみをするのです。
その理由の中には『真似されたくない』とか『こう思われたら嫌だ』という感覚が多く含まれていました。
やがてはチャンスを逃し、自身の世界観を表現出来ないまま、解散して行ったのです。
才能があっても這い上がることの難しい音楽業界で、表現を隠し抑えてしまっては叶うはずもありません。
簡単に言うと、自身が先輩アーティストの真似をして学んで来たにも関わらず、後輩には学ばせないスタイルを貫いたのです。
天はこれを、良しとしないのです。
良いものは広め、後世に伝えるのです。
聞かなければ聞こえない
さて、ここまでの内容で疑問が湧くかも知れません。
それは『人に教え真似されたら自分の利益に影響が出そう』ということでしょうか。
しかし、心配には及びません。
なぜなら人は、自分に必要な部分しか聞き取れないからです。
極端に言えば、革命的で絶対に儲かるプログラミングがあったとしても、パソコンをやらない人にとっては、何かの呪文にしか聞こえないでしょう。
ですからこの時点で、その情報を必要としていない人には届かないのです。
音楽の話に戻しても、ほとんどは音の好みを聞くだけであり、盗むまでには至りません。
むしろ真似に対して『影響を受けた』と言ってもらえた方が、嬉しいはずですよね。
自分発信の情報を100人の前で話しても、それぞれのフルイに掛けられ、ほんの数人にしか届かないということなのです。それならば耳を傾けてくれる同志に対し、惜しみなく伝え感謝された方が、よっぽど世の為、人の為になるのです。
恩返しの法則
知識や知恵とは、人の教えを受け心が動き、自らの行動で示されるという順序で進みます。
ですから形はどうあれ、誰かの教えを受けていることになるのです。
これは、本やテレビなどの情報も同様です。
しかしながら、この世に一方通行は有り得ません。
恩を受けたら、恩を返すのです。
陰と陽、光と影、プラスとマイナス、上りと下りなど、宇宙はサイクルによって保たれています。
『良いことを聞いた』で止めてしまうのではなく、次に繋げる行動を起こすことでエネルギーが廻り、やがては発信者へ戻るのです。
簡単に言えば、助けてもらったら『ありがとう』を示し、人が困っていたら惜しみなく助けることです。
やがては恩が縁を生み、信頼関係が築け、みんなが笑顔になれるのです。
シンプルに受けた恩から得た徳を、発信者の為になるように使うことでしょう。
気が付くと、あなた自身に感謝が集まり、みんながあなたを引き上げてくれるのです。