この世にはサイクルや法則が存在します。
しかし、どれも簡単で単純です。
ただ、実際は大人でも分かっていない人が多い現状があります。
なぜ、良いことをしなくてはならないのか。
なぜ、悪いことをしてはならないのか。
当たり前に見えて、子供に説明するにしても、なかなか難易度の高いテーマですよね。
今回はサイクルをテーマに説いてみたいと思います。
スピリチュアルの種明かし
このブログを始めてから、様々な表現で多くの記事を書いて来ました。
勿論、この先も続けて行きたいと考えているのですが、実は書くべきことは既に記載しました。
逆に言うと『スピリチュアルな考え方』とは、とても単純なのです。
本来は一言で済んでしまうのですが、それではなかなか理解されない為、私のような伝達役が各地に配置され、皆様にお伝えするのです。これを『神様のお手伝い』と言います。
スピリチュアルについて例えを出しますが、いわゆる世間の仕組みでもあるので多くのことに当てはまります。ファッション誌があるとして、常に最新の服などが掲載されています。
毎年繰り返されるシーズンに合わせ、それに適したファッションを様々な観点で魅力的に伝えますから、消費者は全てが新しいと錯覚するのです。
しかし観点を変えて考えると、服の形はそれほど変わりません。
これは人間自体の形が変わらないからで、国を問わず同じです。
これをスピリチュアルな話に置き換えても同じで、自分の視点からの話をしたら、次回は相手の視点の話で、次は第三者へと移行し一周させながら何度も刷り込んで理解してもらえるようにするのです。本来はお経のように、同じ内容を何度も繰り返し読む方法が有効なのですが、それでは飽きてしまうので、手を変え品を変えと繰り返しているという仕組みです。
何が言いたいのかというと『あれもこれもではなく、確信が分かればその先は同じ』ということです。
霊レベルと感覚の違い
さて、この場を通じて多くの方の相談を受けさせて頂く機会があります。
それで、ブログ記事を読み込んでから来られる方もいるのですが、やはり『他人のことは分かるけど、自分のことは分からない』となってしまうようですね。
確かに難しいのですが、自分と他人の感覚の違い、すなわち『相手の気持ち』を理解しようとする気持ちがあるかどうかが『善のサイクル』の鍵となるのです。
ここまでだと、ちょっと伝わり辛いかも知れませんが続けます。
以前、飲食店でウェイトレスの仕事をしている方達と数人で、ファミリーレストランで食事をする機会がありました。普段はスタッフとしてお客様に接している訳ですが、この時はお客なのですね。
私のイメージとして、双方の気持ちが分かる訳ですからスマートなお客になるはずだと思いました。
しかし残念なことに散らかし放題で、ドリンクバーのコップは散乱状態、飲み残しで次を取りに行く始末。見兼ねた私が『普段ウェイターをやってるんだから、もう少し綺麗に使おうよ』と言うと『今回は客だから関係ない』と言う訳です。
私の中で食事とは命を頂く感謝なので、そのギャップにショックを受けたものです。
このようなことは、形を変え様々な場所で日々行われていると思いますが、私からすれば『だからあなた達は幸せになれない』と断言できるのです。
また、このような霊レベルの低い人が相談に来ても、何一つ気付きを与えることは出来ないと思うのです。
善のサイクルの仕組み
ご相談内容を分析してみると、女性は恋愛についてが圧倒的に多いです。
これはいつの時も恋をしていたいという願望であり、神様が授けてくれた『欲』ですから大切にしたいものですよね。また女性は常に『美』を目指すことでエネルギーが高まりますから、このサイクルを手に入れれば最強です。
男性に多いのは、仕事や人間関係の悩みです。
それぞれ色々あるとは思いますが、私のところに辿り着いた時点でかなり弱ってしまっています。
なぜこんなことになってしまったのかと言うと『善のサイクル』を止めてしまったからです。
ところで根本の原因は、誰かが何かをしてくれるという甘えなのです。
自分が『嬉しさ・楽しさを得たい』と考えるとします。
すると『楽しませてくれそうな人』をついつい探してしまうものです。
しかしこれが根本的な間違いであり、まずは自分が誰かを楽しませるべきなのです。
あなたは、誰かの為に笑顔で楽しく接しました。
楽しませると『面白くて良い人』という印象を与えます。
『面白くて良い人』とは魅力があるので、次の誰かが寄って来ます。
気が付くと、みんなでワイワイやるようになり、ますます楽しくなりました。
ある日、あなたにショックなことが起こり落ち込みました。
しかしみんなの輪に中に入ると、自然と元気が出て来ました。
これこそ自分が放った善が、巡り巡って帰って来た『善のサイクル』の図です。
しかしここで反論があるのですが『たまたま周りに楽しい人がいるだけで、こちらは頼んでいない』と言う人がいるのです。これを説明すると『相手が自身の幸せを願い放った善の恩恵をあなたが受けた』ということであり、それに気付き互いに育てなければ、直ぐに別のところへ行ってしまいます。
また、集団の中でつまらなそうにブスッとしていると、とても周りは迷惑なのです。自分だけの都合だと思うかも知れませんが、全体の雰囲気を壊すような低レベルな霊は、やがて裁きを受けます。
その結果が、もはや修復不能な人間関係の悩みへと発展させるのです。
しかしそうなってしまっても、方向転換をすれば必ず幸せに向かえます。
太陽は全てに平等ですから洞窟を抜ければ、また光を浴びることが出来るのです。