人生は様々なシーンを経験しながら歩むものですが、その険しさから苦しみを感じてしまう方が多いのも事実です。模索の末、スピリチュアルに出会うのですが、やがてはまた、苦しくなってしまいます。
今回は、霊の成長段階で起こりうる試練と対処法について考えて行きます。
スピリチュアルの罠
スピリチュアルとは、宗教ではないので『誰かと一緒にやらなければならない縛り』はありません。
ですから、自問自答で十分なのです。
時に迷子になることはあるかも知れませんが、耳を傾ければ近くに必ず答えはあります。
それでも分からない時は、このブログの中にヒントがあるはずです。
しかし誰が言ったか、無意味なルールが蔓延っているのが現状です。真実を探せるかどうかは眼力次第ですが、真髄に辿り着いてしまえば、いかに世間が惑わされているかが分かるはずです。
言霊は入口
さて、スピリチュアルで必ず耳にするのは『感謝』だと思います。
このような言葉は、思考の方向転換に有効で、心の隙間を埋めてくれるものです。
しかし、やがて言霊だけでは対処出来なくなり、また辛くなってしまうという相談が多いものです。
理由は単純で、意味を理解していないことに尽きます。
ただ、こればっかりは霊の気付きなので、地道に学んでもらうしかありません。
言葉を変えることは、スタート地点に立つことであり、何かをしてもらったら『ありがとう』と言う、当たり前のことなのです。逆に今までは『それすらも出来ていなかった』というニュアンスになります。
この部分を『今までも言っていたし、感謝もしていた』と反論するのであれば、それもまた修行の道中なのでしょう。
次のステージ
自然界には必ず、節目が存在します。
言葉を変えれば、必ず流れが変わり、その先に一段上に上がる為の試練が待っているのです。
それが『言葉を変えても幸せになれない』という思い込みです。
多くの方が、この壁にぶつかり、そして諦めてしまいます。
そして再び、毒を吐く生活に戻ってしまうのです。
しかし、この違和感と辛さこそが『お知らせ』であり、気付きのチャンスなのです。
『ありがとう』と言うのは当たり前。
これからは『ありがとう』と言われる生き方をすべきなのです。
ここで勘違いして欲しくないのは、大それたことをするのではありません。
日常で出来る、ちょっとした気遣いの話をしているのです。
並ぶ時は後ろに気遣い、ちょっと前に詰める程度のことです。
電車に乗る際、我先にと降りる人を遮ったり、店の入口で立ち話をするような方は『ありがとう』すら言えない霊レベルです。
そして少し前まで『自分も同じ位置にいた』ことを認め、戻らない決意をするのです。
見返りを求めず、愛を与え続けることが出来れば、霊はより一層輝くでしょう。
許す技
『許し』とは最も難しい分野なので、簡単に出来ることではありません。
しかし、許す努力はすべきです。
例えば、必要以上にネチネチ小言を言う上司に対し、怒りを持って対応したら同類です。
霊が一段階上にあるのであれば、一旦上司の立場になって考えてみて下さい。
きっと、行き場の無い感情が漏れ、その矛先がこちらに向いているだけなのです。
それを許しの技である、感謝と行動で示してみて下さい。
毒をまともに受けたら被害を受けますが、かわす方法はいくらでもあるはずです。
そもそも、一段上にいれば毒に侵されることはありませんし『感謝される生き方』をしていれば、相手が格の違いに気付くでしょう。
八方塞がりの脱し方
経験を上手に使い、様々なアイデアで問題クリアすることを『千手観音の手』に例えることがあります。
しかし時に『八方塞がり』の状態になることもあるでしょう。
そんな時は、迷わず上を目指して下さい。
一つ上の考え方、一つ上からの見方。
これにより必ず、次の一手が見えて来るはずです。
感覚で言えば『幽体離脱』であり、視野を広げるキッカケになるはずです。